東京都指定有形文化財
江戸東京たてもの園

旧自証院霊屋

きゅうじしょういんたまや


徳川家光ゆかりの名建築

都重宝指定第1号の
文化財建造物

 

  •  自証院霊屋は、三代将軍徳川家光の側室であった「お振りの方(おふりのかた)」を祀った霊廟。江戸時代初期の慶安5年(1652)、新宿・市ヶ谷の円融寺自証院に建てられました。

  •  東京都指定有形文化財(旧都重宝)の第1号に指定された建物で、現在は東京・小金井の江戸東京たてもの園に移築されています。



    外観

    向拝 木鼻と組物
    (撮影 畑 亮)

    向拝と正面御扉

  •  全体に日光東照宮などを髣髴とさせる鮮やかな彩色・彫刻が施されており目を奪われますが、建築的なプロポーションも端正で、その質は高く評価されています。

  •  これを建てた工匠は、江戸幕府作事方大棟梁・甲良豊前守宗清(えどばくふさくじかただいとうりょう・こうらぶぜんのかみむねきよ)であり、江戸幕府の正統な血筋を引く建物といってよいでしょう。

    頭貫・台輪・組物・桁

    向拝軒

    隅木と軒

    化粧垂木
    木口には金具を用いず
    彩色が施されている

     向拝 虹梁と蟇股

    懸魚


  •  自証院霊屋は今回の工事で江戸東京たてもの園内に復原されましたが、創建以来、ここへ至るまでには数奇な運命を辿っています。

    •  創建は江戸時代初期の慶安5年(1652)。家光の長女・千代姫の発願により、千代姫の生母「お振りの方」を祀る霊廟として、新宿・市ヶ谷の円融寺自証院に建てられました。

    •  その後長らくこの地にありましたが、明治になると寺が衰退し、霊屋も次第に荒れ果てていきました。初めは霊屋といっしょに唐門もあったのですが、明治18年(1885)の台風で松の大木が倒れ、倒壊して失われてしまいました。

    •  翌明治19年(1886)、霊屋はついに解体されてしまいます。そして明治20年(1887)には、駿河台の某という人物によって三百五十円で買い取られました。しかしさらに転売されて、明治21年(1888)には東京・谷中の頤守院に移築されました。こうして霊屋は「お振りの方」を祀る霊廟としての意味も機能も失われて位牌堂となってしまいました。

    •  その後50年近くが経過した昭和12年(1937)、自証院霊屋は建築史家の藤岡通夫博士によって発見され、翌昭和13年(1938)に『画説』誌上に公表されることとなります。ここに掲載された写真を見ると、当時の霊屋は惨憺たる破損状況であったことが知られます。

    •  さて、幸いに第二次世界大戦の戦火を逃れた霊屋は、今度は西武鉄道によって買収されることになり、昭和32年(1957)、千代田区紀尾井町の赤坂プリンスホテル内に再び移築されました。そして三年後の昭和35年(1960)、文化財としての価値が認識され、東京都により都重宝の指定を受けています。

    •  ところがその後、ホテル新館建設の計画が持ち上がり、霊屋は新館の建設予定地にあったため、またもや解体されてしまいます。以後、昭和54年(1979)より今回の復原工事に至るまで、長く倉庫に保管されていました。

    •  昭和61年(1986)、とうとう霊屋は西武鉄道から東京都に寄贈されることとなり、これによって移築復原の方途が開かれました。そして江戸東京たてもの園への移築が決定し、自証院霊屋はここにようやく安住の地を得ることとなりました。平成7年(1995)、今回の復原竣工を迎え、再び当初の華麗な姿を取り戻したのです。



    •  今回の工事では、剥落していた漆・彩色をその痕跡から復原し、外部についてはすべて推定当初形式に復されました。但し内部の彩色については剥落していても敢えて塗り直しを行わず、剥落止めのみを施して当初の絵の具をそのまま後世に保存しました。

 

所 在 地

東京都小金井市 江戸東京たてもの園(移築)

 建立年代 

江戸時代初期 慶安5年(1652)

修理工事

平成7年(1995)完了

見  学

公開中(毎週木曜日には開扉して内部も公開・月曜休)

 

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