- 昭和59年(1984)10月30日夕方、海禅寺の庫裡より出火した炎は庫裡・玄関を全焼し、本堂へも燃え移りました。第一報が入った時には、まさに炎上の最中でした。
「今、本堂が燃えています・・・」
海禅寺は尾根の谷間にあり崖上に建つため、消火もままならず、なすすべもなく火は本堂の大半を焼き尽くしてしまったのでした。
- 通常であればここでかつての伽藍は失われたのですが、曹洞宗の名刹として知られる海禅寺は、かねてより当地方を代表する寺院遺構として注目されていました。本堂は江戸時代中期、元禄11年(1698)の上棟、西多摩特有の八間取り・方丈型の大規模な住宅風本堂でした。境内入り口の崖上には峻厳な楼門が建ち、火災以前には地方寺院としての特色をよく示す風格ある伽藍を誇っていました。また創建も古く、郷土の歴史を語る上でなくてはならない旧跡として重要な位置を占めていました。
- このため被害は甚大であったものの、本堂を中心にその文化財的価値が再認識されるに至り、なんと被災後に境域が史跡に指定されました。その後、復興計画が具体化し、被災後の詳細な調査・研究が行われ、ついに復旧工事に至ったのです。
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外観 正面
(撮影 畑 亮)
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外観 正側面
(撮影 畑 亮)
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内部 内陣
(撮影 畑 亮)
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内部
(撮影 畑 亮)
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内観 入側広縁
(撮影 畑 亮)
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- 曹洞宗寺院として名高い海禅寺の創立は室町時代、寛正年間(1460〜1465)に遡ります。その後、武蔵の豪族、三田一族の厚い保護を受け、諸堂が再興されました。しかし永禄年間(1558〜1570)、小田原北条氏によって三田氏が滅ぼされた際、三田氏の辛垣城(からかいじょう)落城とともに海禅寺も全焼しました。その後、江戸期にも再建・焼失を繰り返していますが、元禄11年(1698)に現在の本堂が建立されました。
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