江戸東京たてもの園

小出邸

こいでてい


巨匠・堀口捨己による
若き日の処女作

初期モダニズムの大正ロマン

 

  •  設計者の堀口捨己(ほりぐちすてみ)は、東京帝国大学(現・東京大学)在籍時の若き日に、同級生であった山田守、石本喜久治らと共に「分離派建築会」(ぶんりはけんちくかい)を結成して日本におけるモダニズムの先駆けとなった建築家です。「分離派」とは「過去建築圏より分離」するという意味であり、オルブリッヒ、ホフマンらによるウィーン分離派<ゼツェッション(Sezession=「分離」の意)>に由来します。

  •  当時の建築界は歴史主義的な様式建築(西洋風の列柱や柱頭飾りを持った建物など)が大勢を占めていましたが、分離派はこれに反発し、既成の様式にとらわれない自由な創造力を主張して各方面に大きな影響を与えました。



  •  小出邸は堀口捨己の最初の住宅作品であり、博覧会の仮設的建築を除けば同氏の処女作にあたります。西欧視察旅行から帰国した直後の大正13年(1924)、堀口29歳の時に設計されたものです(竣工は翌年)。創建時は「学者町」として知られる文京区西片に建てられ、現在は江戸東京たてもの園に移築されています。

    北西側外観

    西側外観

    南西側外観



  •  堀口は後年、大島測候所、若狭邸など、一連の「白い家」と呼ばれる、いわゆるインターナショナルスタイル風の作品を発表し続け、近代建築家としての地位を不動のものとします。しかし小出邸の意匠はそれ以前(分離派時代)の作風に属し、表現主義的な要素とモダニズム的な形態が混在しています。

    玄関ポーチ

    南側外観

    西側外観
    工事竣工直後の夕暮れ

    応接室のタイル
    泰山製陶所製(壁)

    復原された応接室家具

    食堂より和室を見る


  •  小出邸の各所には、1920年代という世界的にも過度的な様相を帯びていた様々な表現形式の同時代的な影響をみることができます。そこではアールデコ風の意匠や、デ・スティール風の「構成」、アムステルダム派風の大屋根とレンガ、モダニズム風のフラットルーフ、また田舎屋風の釿はつり、さらに茶室風の吊り棚・付鴨居・付柱など多様な表現が用いられています。

    正面立面図


  •  そしてこれらの手法は2年後に再び試みられ、幻の名作となった茅葺の洋館「紫烟荘(しえんそう)」を生み出すことになります。屋根葺き材を除けば、小出邸と紫烟莊の建築手法は細部に至るまで酷似しており、処女作の小出邸での経験が紫烟莊に至って結実したものとも解することができます。



  •  ところで堀口捨己は後年、茶室研究の権威として多くの業績を残しており、また近代数寄屋の作品などを多く手掛け、吉田五十八(よしだいそや)、村野藤吾(むらのとうご)らと共に近代和風建築の巨匠の一人に数えられるに至りました。日本の伝統を「再発見」「再評価」し、「伝統と近代」また「日本と西洋」の垣根を取り払おうとする試みは堀口のライフワークとなった感があります。
     しかし既に処女作の小出邸でも、真壁風の洋間である応接室の内装などで「和洋の境をまぎらかす」かのような試みがなされている点には興味深いものがあります。また和室と洋室を一つ屋根の下に納め、和風とも洋風ともつかない全体を構成しているあたりも注目されます。小出邸は堀口捨己のその後の建築理念と建築表現の展開における多様性を内包した出発点として、日本近代建築史上、貴重な遺構といえます。

 

所 在 地

東京都小金井市 江戸東京たてもの園(移築)

 造営年代 

大正14年(1925)

修理工事

平成10年(1998)完了

見  学

公開中(月曜休)

 

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