渋谷区指定文化財

金王八幡神社

こんのうはちまんじんじゃ


東京渋谷タウンの守護神

極彩色の権現造り社殿

 

  •  金王八幡神社は渋谷の街の真っ直中、渋谷警察の裏にあります。そしてこの神社が実は「渋谷」という地名の発祥になったという伝えがあります。
     伝説によれば、平安末期、武蔵の豪族であった河崎基家が、この地に八幡宮を勧請したのが金王八幡神社の始まりであるといわれます。その後、基家の子、重家は当社に祈願して子供を得、金王丸(こんのうまる)と名付けました。そして父子共に「渋谷」姓を名乗り、当社を「渋谷八幡」と号したと伝えられます。

  •  また後に春日局(かすがのつぼね)が、家光を将軍職につけるため、ここへ祈願をしたことでも知られています。

  •  時を経た今でも、東京渋谷タウンの産土(うぶすな)神社として地元の人々に親しまれており、当地の発展を長く陰で支えてきた街の守護神的存在です。



    外観

    向拝

    向拝

     現在の社殿は本殿・幣殿・拝殿を繋げた権現造り(ごんげんづくり)で、江戸時代初期、元和元年(1615)頃の造営とも伝えられます。しかし一方では元禄年間(1688〜1704)に大きな改変を経ているとする記録も残されています。建物の様式から判断すれば、ほぼ元禄期のものとみてよく、造営当初の部材の一部を採用しつつ、大部分が新たに再興されたものとみられます。



    向拝柱

    向拝組物

    向拝手挟

     向拝柱の「獏」の彫刻(獏鼻)や、格狭間内の「虎」の丸彫り彫刻は元和年間に遡る気風が感じられ、あるいは造営当初材である可能性が考えられます。特に「虎」の彫刻は「江戸図屏風」(江戸初期)に描かれた旧加藤肥後守(加藤清正)上屋敷にある大台所の虎の彫刻を連想させるものです。

    向拝木鼻「吽」

    格狭間

    向拝木鼻「阿」


  •  社殿は極彩色の華麗な絵様・彫刻で覆われており、今回の工事では、彩色の修復が大きな比重を占めました。剥落の進んでいた部分を丹念に観察し、当初の顔料を調査して彩色の復原が行われました。

    修理前

    修理前

    修復の様子

 

所 在 地

東京都渋谷区渋谷

 建立年代 

江戸時代 元和元年(1615)頃(但し、元禄年間(1688〜1704)に大規模な改修)

修理工事

平成8年(1996)完了

見  学

境内自由

 

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