- 江戸時代後期、堀之内妙法寺は徳川将軍家の御膳所に指定されていました。御膳所とは将軍などが「鷹狩り」の途上、休息に立ち寄る施設です。
- 御成間は当初より将軍の御成りを前提に計画されたものとみられ、将軍が休息を取る「御座所」として使用されたものと思われます。文化14年(1817)4月18日に11代家斉による最初の御成りがあった記録が残されており、その後、文政2年(1819)に再び11代家斉が、天保10年(1839)、弘化3年(1846)に12代家慶が相次いで妙法寺を訪れています。
- また妙法寺は一ツ橋家・田安家の御膳所ともされており、後に15代慶喜となる一ツ橋刑部卿も嘉永2年(1849)に妙法寺を訪れ、御成間で太神楽を見物しています。近代に入ってからは明治二八(一八九五)年に閑院宮殿下がここで宿泊しています。
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上段の間
(撮影 畑 亮)
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上段の間 違棚
(撮影 畑 亮)
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入側より上段の間を見る
(撮影 畑 亮)
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- 将軍の座した中央の上段の間は周囲に黒漆塗りの框を入れて一段高くされ、床の間・違棚・付書院を設け、壁・天井・建具には水墨による障壁画が描かれています。
- 柱や造作材のほとんどにツガ材が用いられ(いわゆる「ツガ普請」)、木部の継手・仕口等には手の込んだ優れた細工が施されています。
- 建立以来、二度の移築を経ており、屋根・下屋廂廻りには部分的な改修が加えられていますが、主要部分の当初形式が良く保存されており、秀逸な障壁画と共に江戸後期の書院造りとして貴重な遺構です。現在は山内の行事において「御経頂戴の間」として活用されています。
- 障壁画の作者については不詳ですが、狩野派の手になるものといわれています。
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床の間 大平壁障壁画
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- 今回の工事では、内部の障壁画を保護するため、外廻りに強化ガラスによるスクリーンサッシが設けられました。
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外観
(撮影 畑 亮)
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